ついにと言うか、やはりと言うか、我が国が正式に「民泊」を推進してから、初の民泊での殺人事件が起きたようです。
従来の我が国における宿泊業というのは湯治目的の滞在が主で、それ以前の旅の宿を取るのは一般に寺社仏閣がメインでした。
国内が統一され、江戸から全国に伸びる街道が整備され、まもなく伊勢神宮などへも庶民の参拝が恒常化した頃に、一般人を泊め、食事と風呂を提供する形態が完成したと思われます。
欧米では泊食分離型が多いのに対し、我が国では泊食一体の宿泊業形態が広まったのは面白い違いだと思います。
ところが昭和の40年台に日本では欧風型のリゾート形成が台頭してきており、それは草津温泉の中沢ヴィレッジの創業者が始まりとも言われています。
草津温泉は古来病気療養のための温泉とその滞在者の宿が充実しており、江戸時代には草津千軒江戸構えと言われたそうですが、その賑わいはかなりのものだったと伝えられています。
そこへ欧州型の山岳リゾートの思考を導入したのは、第一回目の東京オリンピックや大阪万博などと国内景気の高揚感が国民にもたらした当然の現象なのかもしれません。
今までにないペンションという宿泊施設が誕生しました。
これがそもそも我が国に於ける宿泊業態の最初の大きな変革だったのではないかと私は考えます。
ペンションという名称の考案者は旧中沢ヴィレッジ創業一族であり中沢一族経営の最後の社長でもあった中沢康治氏だと過去にご本人から聞きましたが、当時は商標登録もしていたようです。
ちなみに、この呼称が広く一般に使われることとなったのはJTBが絡んでいるようですが、そのあたりの事情は話せる時が来たらお話するとします。
このペンションは小規模な部屋構成を持ち、家族で運営する住居兼宿泊施設であり、今で言う民宿の洋版だと考えればよいでしょう。
民家に宿泊することはかなり昔からあって、それが専業となり、やがて民泊が常用の業種となり、いままた外国人の観光客受け入れ先として注目され、簡素であり安価である余剰住居の提供を目的とした民泊なる形態が出現したようです。
しかし、これまでは国内のいわゆる日本人だけを主たる相手としてきた宿泊業が、国内景気の停滞と新たな商環境を求めて法を緩めた結果、そこに当然ながら安全面への緩みが出てくることも懸念されておりました。
今回その懸念が的中してしまったようです。
さらに政府のこのような政策を受けて観光庁では日本伝統の泊食一体型を廃し、いわゆる素泊まりを推進しようとしています。
これは温泉街や観光地の街並みに観光客を出そうと言う目的なのだそうです。
それによって街はそぞろ歩く人が増え、飲食店に限らず、土産物店や様々な観光施設が潤い、税収が上がるという「風が吹けば桶屋が儲かる」的な三段論法を狙っているようです。
一方の旅館側では「売上が圧迫される原因」と「日本旅館の伝統が失われる」との理由で結構及び腰なことも事実であり、観光庁の思惑通りには行かないようです。
第二回目の東京オリンピックを2020年に控えて、東京は当然、日本中の自治体や観光協会や観光に従事する人々が鵜の目鷹の目でインバウンドを狙っています。
観光資源で我が国が決して他国に劣っているとは思えませんし、むしろ観光資源は実に多彩で豊富であろうと思われますが、かつて武士の時代の頃に人が移動することは体制に危険をはらむと考えられ、すべての人の移動を監視、記録したことから宿帳ができ、それは現代の日本の安全な観光業の形成にも一役買っているのではと思えます。
ところが今般の民泊ではこの宿帳の義務はなく、どこの誰だか不明の状態で宿を通過していくのです。
そうして起きたのが今回の事件です。
旅行者にとって比較的安全度と自由度の高い日本だと言われておりますが、それでもやはり地域との関係性を考えるならばむやみに民泊施設が増えることは決して好ましいことではありません。
今後、民泊については地域住民などの訴訟問題に発展する可能性が極めて高い案件だと思います。
また泊食分離の推進は観光地と観光施設の各々の特徴を考えるならばまさに机上の計算であり、私は絶対に一色たんの政策として推進すべき事柄ではないと考えます。