近代日本にとってこれほど国民生活に多大な悪影響を及ぼした感染症はなかったと思います。
新型コロナ感染症は、世界の経済活動を止め、日本の経済活動を止めました。
結局、世界は脱コロナ、経済停滞からの脱却が再優先課題となり、それがこれからの世界での立ち位置を決める一つの指標となり、例えば10年後の世界情勢における財政優劣のターニングポイントでもあったと言われる事柄とも捉えられているようです。
これは国家間ではもちろんですが、企業間や個人生活においてさえも10年後の影響と言わず、今すぐ、明日からの伸長、安定に大きな影響をもたらすことは間違いのないところでしょう。
そう言った重篤な現状と、重大な近未来への展望を指針するための総理大臣を誰がどう選択するのかという戦いが今般の自民党総裁選挙であったと思えます。
結果、大方の予想を覆す票の展開で岸田文雄氏が次期総裁、そして総理大臣と決定したわけですが、ここでこの方が選ばれたことは我々国民に少なからずの不安と疑念と禍根を残しました。
それは、誰がこの総裁を生み出したかと言うことです。
なぜなら、それは国家権力の最たる人物である総理大臣を真に首長として国家運営を委ねるのか、はたまた、国家の首長に大なり小なり影響を与えながら委任するのかと言う考え方、あるいは思想の違いがあるからです。
国家首長が国家首長の思いと思惑のなすがままに国家を導くのであれば、それは真に国家首長たる存在なのでしょうが、国家首長の意思はその背後に国家首長を祭り上げた人物たちの思惑を踏まえて指針されるのであったら、それは相応に屈折したものとなり、忸怩たる思いを国民に抱かせることとなるであろうと推測するかです。
一言で言うなら、それらは国家首長を目指すものの力量であり、そう言った意味では今般の河野太郎氏の力量は、本人曰く「個人の力不足」以外の何物でもなかったと言うことになります。
これから岸田文雄総裁は国会の承認を経て天皇陛下より内閣総理大臣を拝命するのでありますが、個人的な意見としてはその背後にある強大な意思に翻弄される可能性が強いと考えます。
しかも、岸田文雄総裁は、背後の強大な意思を自分の意志として国民に示すことを要求され実行するのでしょう。
これが世界の中における日本という国家勢力の立ち位置を決め、これからの日本の産業や国民の世界に於ける決めていくこととなるのです。
まずは衆議院総選挙がどうなるかに注目して、はからずも与野党転覆はないと思いますが、それでも国会の安定運営が脅かされる可能性などの少ないことを祈るとともに、晴れて総理大臣となった暁の組閣陣容と所信表明演説の内容で背後の人たちの影響力の大きさがわかるだろうと考えます。
そして注目すべきは、令和版国民所得倍増論の中身です。
おそらく、これの真は大企業中心の引き上げを狙うものと推察しますが、大企業の世界進出を推進して、それを古代に喧伝するという手法に出るのでしょう。
次に、次代のエネルギー政策ではこれまで同様の原発推進を踏襲するものと思われますが、これは自民党保守層に長く根付く各戦力につながる各技術の保有と各戦力の原料保有は現行憲法下の日本においての最良の選択肢だと言う発想があるからだと思います。
従って、原子力技術の保有は従来どおりとなり、且つ、新エネルギー政策を同時に進行させるというのが現実的な政策選択であろうと思います。
国民生活への政策に関しては、大企業中心の政策を取る限り、大多数の国民感情はその制作への同調と満足感を求めることは難しいと思われますが、現状の流れを見る限り、やはり大企業の支援を政策に反映して、その多いななる収益を国民に還元しようとするシャワー効果を狙うのであろうと思うのです。
しかし、企業もメガクラスになりますと国の枠には収まらなくなります。
結果、国家の縛りを飛び越えざるを得ないメガ企業はその拠点を複数持たざるを得ませんので、国家にとってのメリットはそれ以上の期待値はなくなることとなり、国民へのシャワー効果も必然的に上限が決まってしまうと言うことになります。
もちろん、その上限がどこであるのかが問題ですが、いずれにしましてもメガ企業とは縁もゆかりもないその他の国民にとっては恩恵に預かることはおよそ無縁となります。
結局、優位性に満ちた国民と、劣悪な環境に取り残される国民の格差は益々広がるのでしょう。
これらの指針はまもなくの組閣、制作し指針、そして衆議院総選挙との兼ね合いで今年の後半にははっきりします。
岸田内閣が派閥や長老のバランス内閣とならないこと、それによって日本の世界での立ち位置が微妙にならないこと、国民の経済分断が起きずに拡大されないこと、これらに私は注目してみてみたいと思っています。