要はアメリカ本土を標的とする大陸間弾道ミサイルに、通常弾頭どころか核弾頭が積めると言う現実が生み出した、超大国アメリカの小国北朝鮮への懐柔と妥協を探る会談です。
別の見方をすれば、無謀とも思えた金正恩の戦いが、世界の警察を標榜するアメリカの鼻っ柱を折り、振り上げた拳の落とし所を探しているトランプ大統領に、世界へ向けての「世間体」を保てるか否かと言う瀬戸際、格好の舞台を創り出したとも言えそうです。
結局、核1基で世界は動きが変わってしまうことを如実に示してしまったのです。
共産圏諸国や反アメリカ諸国から見れば、この北朝鮮の独裁者金正恩はある種の偉大な貢献をしたと言えます。
自国民を究極まで犠牲にして、かと言ってクーデターを引き起こすような油断もせず、祖父から続く一族支配を維持して、世界第一等国を交渉の場へ引きずり出したと言う事実は歴史に残るはずです。
第二次世界大戦後の世界は、アメリカを中心とした新秩序の世界でもありました。
それをソビエト崩壊の後の中国が狙い、今またロシアが復権を狙い、さらにイギリスがアジア進出を目論んでいるようです。
果たしてこの「静かな乱世」の兆しの中、我が国はどのように泳いでいかなくてはならないのでしょうか。
「誠に小さな東洋の島国」が、いまや世界に影響力のある都市ランキングでアジアトップを継続しつつも国力としては衰退を免れず、内には国家経済の大きな歪みが日増しに現実味を帯びています。
右肩上がりの経済力を謳歌していた希望に満ち溢れた時代はとっくに過ぎ、その名残がわずかでもあるうちに「金の使い方」と「集金力」をきちんと再構築しないと大変なことになりそうです。
昭和の時代を引きずる政治家たちが、この先の国家100年の政を語ろうとしても何ら意味を成すことはないかも知れません。
平成も終焉を迎える今年、日本国民は、世界における安全・安心を担保するための国家運営、これを構築できる政治家の存在に確信が持てないのです。
世界標準の主権国家たる国の形がこれほどにいびつであっては仕方がありません。
憲法の自主制定、外敵からの侵犯を守る体制、国家国民の安寧な生活を担保する。
世界ではごく普通の主権国家の在り方ですが、我が国には古くて新しい問題です。
世界協調と言う綺麗事の裏の力学をどう解釈して、どう保つのか。
大きな問題です。
世界もやはり経済と軍事力で維持されていることは間違いありません。
戦争はないほうが良いに決まっています。
しかし経済力と軍事力の両輪は国家にとって必須であり、それはひとえにその国家に存在する人間の安全と安心を招くことでもあります。
そのバランスが崩れたり、他国から遅れを取ることは大きな代償を被ることとなります。
果たして日本国民は、30年、40年まえに生活水準を戻すことを良しとするのは何パーセントいるのでしょうか。
いろいろな主張の人々が存在します。
しかし、それは自由に生きることの保証されている日本ならではです。