日本をはじめ、世界中を席巻している新型コロナウイルス(COVID19)の勢いは中国武漢市で最初に世に出てからすでに1年を過ぎた。
しかしながら、いまだに人類はこれを制圧できていないばかりか、先進国も途上国も自主管理にさえ右往左往している始末で、わが国もこれに漏れず・・・だ。
昨秋あたりから、米欧の製薬会社が各国機関の特例措置を受けてワクチンの開発を競い、危険性の判断を最大公約数で乗り越えたワクチンは、特措的承認で接種が始まっている。
我が国はそんな各国の威厳と尊厳と欺瞞と傲慢に満ちたワクチン開発競争には関わらず、いや、ある種凝り固まった我が国の制度と、錆びついた省庁の壁も影響しているのかもしれないが、いずれにしても世界のワクチン競争には入れなかった。
結果として国民の不安は増し、経済の停滞、いや衰退は著しく、経済を止めたくない政府・与党と今年秋の選挙を見据えた政権奪取をもくろむ野党のくだらない綱引きがまたぞろ国会中継ではタレ流しに放映されている。
一方で、誘致運動のころ、東京オリンピックは東日本大震災の復興を前面に押し出して活動を指定はず。大震災から10年、いまだに現地では除染作業も核汚染廃棄物の処理もおぼつかない、各市町村から意に沿わない離脱を強いられた住民は帰らず、福島の事情は見ザル聞かザル言わザルです。
浜通り、中通りの荒涼たる現状を伝えることもなく、JOC、委員会、東京都などは何の根拠もない強気な発言に終始している。
しかも、当初は東日本大震災の復興というお題目だったのが、その後の熊本地震や大洪水の被災なども加わり、お涙頂戴の素材を次々に追加して「日本はこんなに悲惨な中から立派に復活しましたよ」的なイメージ戦術を取りたいらしい。
いったいいつの時代の、どんな戦略的理由があるのだろうと。
政治家の思考力のなさ、妄想力のなさにがっかりする。これも昭和の爺婆衆参の悪影響かとうなだれる。
国会にいる衆参議員数百人のどれほどに内憂外患、国家100年の計を企て、憂いる議員がいるのだろうか。
およそうんざりするのは、議席を死守する目的、意義が、明確に「政治家としてとどまること」である政治家の多いことだ。
それでは斬新な発想も、明確なビジョンも、柔軟な対応も期待できるわけはない。
官僚は国の命運を握り、国家国民の行く末を世界の中で渡り合わなければならない。それゆえに高い報酬と完全な身分を補償して抽出するのだそうだ。
考え方は理解できる。
問題は、その官僚に政治家は勝てないことだ。
そう言った政治家もどきの議員は与野党、政府にも、了見、知識の薄さがやたらと露見する場面を何度も見させられた。
しかし、それでもその政治家をその地元では送り出してくる。
いわずもがな、結局は「政治家でいること」が目的となって、地元で笑顔と甘言とを振りまき、後援会と言う義理で固めた組織が招いた結果であろう。
世襲が悪いのではなく、世襲に秀逸な教育をしていないのが悪い。
バカ息子やバカ娘、それもいなければバカ婿などに世襲を推し進める地元の後援会と言う自己満足に凝り固まった既得権益死守団体が問題なんだろう。
せめて国会議員に立候補するなら、国会議員たるものの立候補試験があってもいいんじゃなかろうかと思ってしまう。
一級公務員のさらに上を行く「特別上級公務員試験」だ。
二次試験には国家運営と国民、政治家の関係性や在り方に関しての論文を書かせると面白いかもしれない。
いずれにしても、バカな政治家は日本を停滞させ、やがて世界の二等国にする。
残念だが、今の状態では与党も野党もそんな政治家が少なくないのだろう。