しかしその手法が強烈過ぎて世界の人々の中には到底受け入れられないという意見も決して少なくないことはすでに既知のとおりです。
そういった人々はおしなべて「人権」という言葉を出してきますが、一方のドゥテルテ大統領はその全てに断固として反論しています。
「すべての麻薬売人を殺す。」
やはりこれは一国の大統領の言葉、そして政治手法としてはかなりのインパクトがあります。
この頃の私は、そう言った記事を見るたびに、以前親しくしていたフィリピン人たちとの会話の中で、フィリピンの犯罪の現状とそれを一掃するための手段に結びつきそうな話題を思い出すのです。
例えばフィリピンでは日本円で3000あれば殺人の依頼ができるとか、警察官が小遣い欲しさに旅行者のベッドの下に麻薬をセッティングするとか。
さらにマニラ市であっても貧困の極みを生きる人々の存在や、日常的に犯罪を侵さねば生きていけない子どもたちだとか。
ましてや地方へ行けば今も密林にゲリラが存在しており、まかり間違えばゲリラなのか強盗なのかの区別もつかない存在もいるのだとか。
そんな国で一気呵成に状況を変革しようとした場合にはおよそ国家権力を最大限に行使することは容易に想像がつくというものかもしれません。
圧倒的な勢力で国権を超え、国民生活に多大な影響を及ぼし、国際イメージの悪化を図る存在がいるとしたら、それはやはり人権以前に撲滅作戦を執ることは充分に納得の行く行為だとも考えられるのではないでしょうか。
そもそも、その国における内政としての治安維持や国家体制の形成について我々他国の人間がとやかく口を挟むことはそれなりに控えなければなりません。
ましてや一般国民を殺戮したり、国家権力を以て窮状に追い込んだりしているわけではないのですからなおさらです。
さらに、被害者の人権はどうなるのでしょう。
日本でも死刑廃止論を唱える人々がいます。
そういった人たちは事あるごとに「人権」という二文字を出してきます。
しかし、被害者の収める税金も加害者を終生養うことに使われているということになり、犯罪の被害者や遺族がその犯罪者を養っていくというこの事実は一体どういうふうに被害者や遺族の心の中で整理をつければよいのでしょう。
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