http://mainichi.jp/select/news/20140701k0000m010082000c.html
毎日新聞【写真特集】集団的自衛権:「憲法守れ」…官邸前に押し寄せる人の波
http://mainichi.jp/graph/2014/07/01/20140701k0000m010082000c/001.html
結局人間社会での揉め事は、一人対一人でも、国家対国家でも後を絶たないもののようです。
その揉め事に対して、亀のように首をすくめ、少しでも早く頭上を通過することを一心不乱に神に祈ったとしても、揉め事の当事者が黙って通り過ぎてくれる事などはないようです。
しかし、日米開戦のように武力先攻を選択しますと、ときとして非がなくても名目が立たたず、また名目を曲げられてしまったりで、結局非難を浴びる可能性は高くなります。
ではやはり首をすくめて災いが通りすぎるのを待つしかないのでしょうか。
いえ、それで武力侵攻と言う災いは頭上を通過して何処かへ立ち去ることなどあるはずもなく、一度襲ってきた武力侵攻はその時点から一気に私達の生活と人生を変えてしまうでしょう。
西アジアや東欧などで起きている紛争では、常に一般人の命が危険にさらされることも、生活や人生が一気に変わってしまうことも至極当然であり、日常茶飯事なのです。
我々日本人は半世紀以上に渡って平和な時代を過ごしてきたために、そのような過去の自国の常識が全く通用しない現実が襲ってくるとはどうしても考えられないのです。
また、国民の大多数がそう言った世代になってしまっているのです。
そして現状の日本の憲法や法律ではどうやっても未然に危険を防ぐことはできないのです。
それらのことは戦争反対、憲法改正反対を唱える人々が紛争地帯のど真ん中へ行き、自分の目で見て、自分の体で体験してくれば嫌と言うほど解ることでもありましょうが、いかんせん現実的ではありません。
ほんとうに難しい問題です。
しかしこの問題は絶対に解決しなくてはならない問題でもあります。
戦争は嫌だ、誰も死なせたくはない。
非常によく分かる話です。
おそらく世界中の皆がそう思っているはずです。
それでも戦争は起きています。
私達はこれからの世界を語る上で、自分の国は自分で護ることを第一に考える時代になってきたと言うことも念頭に置かなくてはなりません。
米国の経済伸長率が思わしくなくなり、途上国の成長著しい昨今では、米国の絶対的な優位性は実に危ういのであり、我が国は今までのように米国の庇護のもとで安穏と暮らせる時代ではなくなってきています。
さらに国際的な意味での地域貢献は、今後更に求められることでしょう。
結局我が国はスイスのような国民すべてが民兵となるとか、すべての世帯に武器を装備するだとか言ったこともできませんし、そうかと言って各種防衛協力、軍事協定などの関係から中立も不可能です。
自分自身に強大な軍事力を保持することができず、かと言って同盟だけですべての軍事脅威を避ける事もできないのです。
フィリピンのように米軍が撤退した途端に交通の要衝が奪われてしまう、ベトナムのように明らかな軍事力の差が漁民を危険に晒されることに繋がってしまう。
あきらかに武力を背景として新しい冷戦構造を自ら作り出そうとしている国になんら抵抗もできずに押し切られても黙って恭順の態度を示せるでしょうか。
すべての国民が当事者意識をもって考えたいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿