しかしその反面で常に国際競争力との戦いでした。
国内の製造業はそれまでの人間の手による大量生産にはコスト的な限界を見て、省力化というスローガンのもとに生産ラインの徹底的な見直しと自動機器の開発、導入に力を注いできました。
さらに現場サイドだけではなく省力化の潮流は大きな社会現象を伴い、事務方の職域まで及び、省力化は企業の大小に関わらず社会の標準仕様となった感さえあり、これは一時の社会現象ではなく、日本の常識とさえなったようです。
その代表に大変有名になったトヨタ自動車の「カンバン方式」や「カイゼン」また「QCサークル」などが盛んに取り入れられましたが、この中でやはり大きなウエイトを占めたのはいわゆる産業ロボットの大量開発、大量導入でした。
現在ではメガ工場に見渡すかぎり人の影がないという工場もさほどに珍しくはありません。
このような経緯でそれまでの職場を追われた人々は、さらに自分の居場所を求めて次なる職場、職域を探すたびに出なくてはなりません。
時間に束縛され、タイムテーブルに管理され、ロボットの生産能力に支配された現代の労働環境があります。
かなり変則的なものの見方ですが、現実は現実です。
今からざっと80年前の映画、名優チャップリンの「モダンタイムス」が近代産業(当時)の在り様をテーマとしてパロディーに仕上げたことが、20世紀広範ではさらに広範に、そして微細に至る浸透を見せていたのです。
画像は角川映画モダンタイムスより
そして21世紀、世界もさることながら我が日本は中国や東南アジア諸国の猛チャージにさらされ、かつての国家隆盛の立役者であった家電業界はボロボロになり、テレビもオーディオも、ビデオも、コンピューターも、さらに最近の携帯電話やスマートデバイスも造れど売れずの繰り返しで、結局日本の家電製造業は大きな変革を免れない事態になっています。
歴史に見る日米間の経済軋轢
1950年代 繊維輸出問題
1960年代 鉄鋼輸出問題
1970年代 家電・自動車輸出問題
1980年代 半導体摩擦
近年になってようやくこう言った対米輸出に関する日米間の軋轢は影を潜めてきましたが、それは日本の企業の弱体化があり、加えて中国の世界進出が著しく、米国は中国との輸出入収支に神経を尖らせなくてはならなくなったからでもあります。
閑話休題。
さて、国内全地域、全職場を巻き込んだ感のある「省力化推進」は、当然のごとく「働かない者」に還元される恩恵があるわけもなく、職を離れ、安い賃金での労働を受け入れざるを得ない状況に追い込まれた「勤勉家日本人」の平均年収が下落を続け、低所得者が溢れんばかりのニッポンが出来ました。
年収200万円程度、或いはそれ以下の人口が爆発的に増えて、結果政府は大企業だけでは食っていけないことを、日本の産業革命の起点ともいうべき明治維新以降140年もたった今日、ようやく知ったようです。
参考ページ(弊ブログサイトの過去ログ)
日本のピラミッドは関数曲線みたい
http://jpn-life.blogspot.jp/2015/12/blog-post_6.html
この先、人間は、いや日本人はロボットと対決することはおそらく永遠にあるとは思えないのですから、少人数大量生産の現代製造業から、高付加価値大量生産への移行を目指すことしか生きる道がなさそうです。
1人あたりのGDPを現在の10倍位まで伸長して9人を養う。
そんな戦略的政策を目標と考える時代が来ているのかもしれません。
今更ロボットに仕事を返せと言っても「せんないこと」ですからね。
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